2006年08月22日

「駸々堂コミックランド」跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編10

「駸々堂コミックランド」跡地2006/08/22

河原町三条上るの京都朝日会館2階にあった「駸々堂コミックランド」の跡地です。このコミック売場は、河原町三条下る西側にあった「駸々堂河原町店」の閉店にともなって、そこのコミック売場のみが移転した店でした。オープンは1993年7月で、閉店は同グループが倒産した2000年1月末です。もとの「河原町店」のコミック売場は、担当者がきわめて優秀な人だったため、1980年代半ばごろに目立って伸張し、移転前は店の奥半分が「コミックランド」という名称になっていました。その当時は全国的にも漫画専門店はまだ少なくて、一般書店のコミック売場としては質量ともに画期的でした。駸々堂グループは、その後、大阪や神戸でも「コミックランド」を何店か出店しましたが、そのコンセプトはこの店が発祥だったはずです。この「河原町店」はどこかの保険会社のビルの1階のテナントでしたが、そのビルの立て替えのために閉店を余儀なくされました。コミック以外はすぐ北の「京宝店」に吸収されましたが、雑誌や児童書や学参類を扱うことになったために「京宝店」の専門書はかなり割を食ったようでした。一方「コミックランド」はたいへん順調だったために、単独で移転したのでしょう。オープン当時の宣伝文句は「コミック専門店としては日本一の売場面積(ただしワンフロアでは)」というようなものでした。その後、日本一の看板がどうなったかは知りませんが、京都の漫画専門店としては、倒産時までたぶん一番店だったでしょう。倒産後は引き継ぐ書店もなく、書店とはまったく関係のない業種が入っています。なお、「コミックランド」創設の店長は、1990年代の終わり頃に脱サラして、鴨川の七条大橋のあたりで「ビッグボス」というコミック専門店を開業され、マニアの間では全国的な有名店だったようですが、残念ながら2001年春に廃業されました。

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2006年08月19日

「萬字堂書店」の跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編09

「萬字堂書店」跡地2006/08/15

「萬字堂書店」は三条通の河原町と寺町の中間地点辺りにありました。前回の「そろばん屋書店」の10軒ほど西です。検定教科書の販売権を持つ戦前からの老舗書店で、学参を中心に雑誌、一般書、実用書、児童書、そして漫画と一通り揃ってました。30坪弱位の売り場面積だったと思いますが、1960年代末あたりまでは、この地域を代表する書店の一つでした。40年以上昔、小生の通っていた地元の小学校も中学校もこの書店が指定店で、新学期には学校まで出張して教科書のセットを販売しておられました。あのころ、学校に出入りする書店は、教科書の他に副読本やドリルや辞書なども納入でき、参考書や児童文学全集の宣伝チラシの配布もしてもらえたので、とてもよい商売だったようです。
1988年に廃業されましたが、経営者の高齢化及び後継者不在が理由との噂でした。得意とされていた教科書や学参も、無償配布や少子化や塾などの影響で以前のようなドル箱ではなくなり、駸々堂京宝店やジュンク堂のような大型店の影響もあって閉店されたということなのでしょう。バブル前夜の土地高騰期でしたから、売却されるにはとてもよいタイミングだったことも確かです。跡地は土地転がしを仕損なったのかどうかはしりませんが、かなり長い間、「そろばん屋書店」跡のパチンコ店の景品交換所に利用されてました。まるで落ち目の書店業界と大上昇中だったパチンコ業界の縮図を見るような思いでしたが、1990年代の後半からふつうの商売の店舗になりました。その業種がなんだったのかぜんぜん記憶にありませんが、この写真の蜂蜜屋さんはわりと最近のオープンのような気がします。

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2006年08月15日

「そろばん屋書店」の跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編08

「そろばん屋書店」跡地2006/08/15

「そろばん屋書店」は三条通の河原町を西へ入って3軒目あたりの北側にありました。間口の数倍の奥行きがあり、20坪程度のごく気軽なタイプの書店だったような記憶があります。この短い商店街にはもう1軒「萬字堂書店」という老舗があり、そちらは教科書や学参に強い書店、こちらはやや娯楽方面に強い書店という印象がありましたが、何分古い話なのであまりたしかな話ではありません。この書店は1986年に廃業されました。まだ土地バブルの数年前のことですが、とてもよい値段で売れたらしいと評判でした。店主の方はまだ引退されるお歳でもなさそうでしたが、すでに「駸々堂京宝店」があり、やがて「ジュンク堂」も来るという、書店の大型化競争の時代に入りつつありましたから、さっさと見切りをつけられたのでしょう。もしもこのときに、この自社物件を担保に資金を借りて新築されたとしても、たぶんまずいことになったであろう可能性の方が大きいでしょうから、とても正しい経営判断であったと思われます。跡地は即「パチンコ屋」になりました。河原町に面した洋品店も買収し、L字型の店舗となって今も盛業中ですが、ずっと同じ業者なのかどうかまでは知りません。

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2006年07月26日

「アオキ書店」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編07

「マクドナルド烏丸丸太町店」2006/07/25

「アオキ書店」は烏丸丸太町北西角、京都御苑の西側にありました。下の写真の3階建ての角ビルです。このビルにはいまも「アオキ書店ビル」という表示が掲げてありますが、書店ではなく「マクドナルド烏丸丸太町店」になっています。ようするに書店業に見切りをつけて貸しビル業に転身されたわけですが、立地がよいのできっとけっこうな家賃が稼げていることでしょう。この10年以上、書店の転廃業は止めどなく続いていますが、この「アオキ書店」の引退は、それらの中でももっともハッピーな部類であろうと思えます。

「アオキ書店」遺跡2006/07/25

「アオキ書店」は1960年代には、「京都書院」、「葵書房」、「ナカニシヤ書店」などと並んで、京都を代表する地場書店でした。当時の売り場は1階のみだったと思いますが、いつも大繁盛しているように見えました。たぶん1970年代初めにビルを新築されて、売り場は3階まで広がり、ますます好調そうに見えてました。しかしその後、他書店の大型化、多店舗化に押されたのか、次第に低迷傾向に陥ったらしく、1990年代半ばにビルを丸ごとマクドナルドに貸し、自らはその西側に隣接の自転車置き場に移転するという、きわめて合理的と思えるリストラ策をとられました。
その新書店は20坪位でしたが、立地がよいので雑誌や新刊の売れ筋だけでも効率はよさそうで、まずは繁盛しているようにみえました。しかし、2005年末にその書店も閉めてしまわれて、完全に書店業から撤退されました。上の写真ではその元書店だった2階建ての建物は工事中です。貸し店舗にはなさらず、住居にされるとの噂も聞きましたがこれはさだかではありません。

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2006年07月25日

「京都書院本社」の跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編06

「京都書院本社」跡地2006/07/25 
「京都書院本社」は堀川通姉小路下ル西側にありました。たしか角から南へ2軒目だったような記憶があります。すでに取り壊されていますが、この写真の真ん中のビルの位置にあったはずです。当時は3階建てでしたが、その風景はいまもこの「京都書院」の通販サイトにて見ることができます。いつごろこの本社ビルが建ったのかは覚えていませんが、1990年代の初めには、美術書専門の古書店が1階にあり、ほかの階には本社や編集部門があったようでした。
1993年に河原町の「ヴァージョンB」を売却された後、この本店は売り場を2階にも拡充し、和書と輸入書の新本と古書、雑誌のバックナンバーなど実に充実した品揃えで、美術書専門書店としては理想的な雰囲気でした。残念なのは交通がやや不便な場所にもかかわらず駐車場がなく、前の通りに一時駐車することも難しかったことでした。1997年秋に地下鉄東西線が開通し、ちょっと便利になったかと思ったもつかの間で、1999年春に倒産されてしまいました。これは部外者のまったく無責任な感想ですが、遅くとも1980年代初めに、あの河原町店をこの堀川店のような美術書専門書店に転換されていたら、もう少し何とかなったのではなかろうかと思っています。

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2006年07月06日

「サワヤ書房」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 別冊05

「サワヤ書房」遺跡2006/07/04

河原町通蛸薬師西南角にあった「サワヤ書房」は2000年9月末に閉店された後、同年12月に「tutuanna*」という女性用靴下専門店に転身されました。ネットで検索してみますとこの「tutuanna*」という会社はけっこう多店舗展開しているようです。この河原町店は元書店オーナーが経営されてるのか、賃貸されてるだけなのかは不明ですが、この写真でわかるように、「SAWAYA」の名は小さく残してあるようです。

「サワヤ書房」は10坪あるかなしかの小書店でしたが、立地は最高なので 続けることも可能だったでしょう。とくに今となっては、近辺の路面に競合店がゼロですから、続けておられたら以前よりも繁盛したのではと思いますが、それでも手間を考えれば、店を賃貸してしまうほうが楽に儲かるのでしょう。なお、この「tutuanna*河原町店」は数ヶ月前から、靴下専門店ではなく同じグループのアクセサリー店に転換されています。

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2006年06月15日

京都書院ヴァージョンB/オーム社書店河原町店の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編04

京都書院ヴァージョンBとオーム社書店河原町店の遺跡2006/05/30

これは河原町通四条ちょい上がる西側のファッションビル「河原町OPA」です。このビルができる前は、うろ覚えですが、河原町通りに面して南から「オーム社書店」、「ナガサキヤ」、「春陽堂」、「京都書院」と並んでいたように記憶してますが、もうあと1店か2店あったかもしれません。これらの店の裏側には裏寺通りに面したお寺が三つ四つありました。バブル期にこれらの店と寺を次々に地上げした跡地(敷地面積820坪)はしばらく更地でしたが、1998年11月にこのビルがオープンしました。オープン当初9階には地権者としてかどうかは知りませんが、「オーム社書店」がどこかのレコード屋とフロアを分け合って出店してましたが、1年少々で撤退されました。また当時としては京都初だった「ヴィレッジ・ヴァンガード」も別の階に10坪程度で出店してましたが、こちらは烏丸三条の新風館のオープン時に移転されました。9階はしばらく入れ替わりが続きましたが、タワーレコードがビブレから移転してきて以後は安定しています。このタワーはCD/DVDはまずまずですが、書籍と雑誌はビブレ店と比べると激減し、質量ともにさびしい品揃えです。

「オーム社書店」は理工学専門書出版のオーム社の書店部門で、最盛期には5店以上ありましたが、河原町オーパ店の撤退後ほどなく、他の店もすべて閉じられました。元の河原町店は2階建てでしたが?、1970年代に3階建てに改築?されました。終末期には1階は一般書と雑誌、2階は理工学書を中心とした専門書、3階が児童書とコミックだったような記憶があります。売り場面積は公称100坪となってましたが、もっと狭かったような感じでした。

「京都書院」は戦前からの有力書店で、1960年代半ばに4階建てのビルを新築してからは、間違いなくこの地域の一番店でした。4階まとめても100坪もない、いまから思えば信じられないくらい狭い店でしたが、プレイガイドやギャラリーもあって、京都の美術・音楽・演劇における最先端の拠点として、確固たる位置を占めていました。しかし、1970年代初めに駸々堂京宝店に地域一番店の地位をとられ、それから以降は相対的な地位は落ちる一方でしたが、あまり有効な対抗策は講じられなかったように見えました。1980年代後半の土地価格の急上昇によって河原町店の含み資産は膨大となり、それを担保に借り入れた資金で、新たな事業を各種企てられましたが、どれも実を結ばないまま土地価格の暴落によって担保割れし、銀行に土地を取り上げられて閉店してしまったのが1993年のことでした。その後も堀川通り御池下るの本店や出版部門は残っていましたが、1999年に倒産してしましました。そのあたりの詳しいことは「三月書房販売速報(仮題)012号」をお読み下さい。

いま思えば、「駸々堂京宝店」がオープンする以前は、理工学書に強い「オーム社」、アート系に強い「京都書院」、学参や児童書に強い「駸々堂河原町店」、そして洋書の「丸善」の4店がうまく棲み分けて、全国的にも有名だった河原町書店街の中核を形成していた、ということだったのでしょう。

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2006年06月12日

「ミレー書房」跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編03

ミレー書房跡地2006/05/30

これは河原町通蛸薬師西入るにあった「ミレー書房」の跡地です。売場面積は10坪位でしたが、敷地は20坪弱位あるのではないでしょうか。
「ミレー書房」は戦後まもなく同地で開店しましたが、“日共系書店”としてたいへんに有名でした。京都では1960年代から70年代にかけては、日本共産党の勢力が今では信じられないくらい強かったので、とても繁昌しているように見えたものです。近寄る気も起こらない店だったので当時の品揃えは知りませんが、おそらく日本共産党出版局をはじめとする関係出版社の本が大部分だったのでしょう。日共の退潮にともなって徐々に一般客向けの出版物も増えたらしく、ソビエト崩壊後の1993年に、初めておそるおそる入店してみたら、店の半分位がアダルトビデオや写真集になってました。それでも新日本出版社の本や青木文庫などはしっかりと揃えていましたし、他店ではほとんどみかけなくなった“絵本塔”も店頭に数本ありました。何しろ場所柄は市内でも最高の繁華街ですから、何を置いてもそれなりに売上げはあったことでしょうが、“エロ”と“共産党”と“絵本”の3点セットには、とてもタフなプロ魂を感じました。
「ミレー書房」が閉店されたのは1999年末のことでした。終末期には“日共系”の出版物はほとんど置いてはおられなかったようです。その後しばらくは売れ残り品の安売りと、雑誌スタンド卸しルートらしい週刊誌類などの販売をしておられましたが、やがて携帯電話ショップか何かがテナントに入り、店の端にあった2階への入り口に「ミレー書房」という表札がでていました。上の写真に見えるような更地になったのは、ごく最近のことだと思います。なお、2006/5/30現在、跡地に何ができるのかは一切不明です。

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2006年05月31日

ブックファースト河原町店/駸々堂京宝店の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編002

駸々堂京宝店跡2006/05/30

現在解体中のこのビルは元「京都宝塚劇場」でした。1935年に「宝塚少女歌劇」の公演で開場し、戦争直後までは映画と芝居併用の一流劇場だったようです。とくに、大阪や東京の劇場が戦災で壊滅してからは、貴重な焼け残り劇場として大盛況だったということは「古川ロッパ昭和日記」などで知ることができます。戦後の一時期進駐軍に徴用されて「ステイトサイド・シアター」となりましたが、1952年に徴用は解除されました。1956年、4〜5階に洋画封切りのスカラ座を増築し、2〜3階は東宝系の邦画封切りの「京都宝塚劇場」になりましたが、1階は阪急共栄ストアとかいうぱっとしない物販店でした。

「駸々堂京宝店」がオープンしたのは、1971年にこのビルが改築されて「新京宝会館」となったときでした。売り場面積350坪は、当時の京都では圧倒的な広さで、立地も最高でしたからオープン即地域一番店になりました。それ以前の地域一番店は、4階建て80坪の「京都書院河原町店」だったと思います。「丸善京都店」はもう少し広かったかもしれませんが、なにしろ朝10時から夕方5時までの営業でしかも日曜定休という、お役所並のやる気の無さでしたから。

「駸々堂京宝店」そのものはその後もはた目には好調のように見えてましたが、30店ほどの書店を経営していた駸々堂グループは、1980年代から債務超過におちいっていたらしく、2000年1月末に倒産してしまいました。「駸々堂京宝店」の跡をほぼ居抜きのような形で引き継いで、同年6月から営業を開始したのが阪急東宝系のグループ会社「ブックファースト」でした。この「ブックファースト河原町店」もまずまず順調だったようですが、2006年1月の「京都宝塚劇場」閉館にともなって閉店せざるをえなくなりました。そして、この時点で古書店数店を除くと、河原町通りの三条〜四条間には道に面した書店が一軒もないということになってしまいました。

「ブックファースト」は代替店を探しているという噂ですが、四条烏丸あたりまで範囲を広げても、なかなか適当な店舗が見つからないようです。「新京宝会館」は解体後新築されますが、完成後の新ビルには映画館も書店も入らないことがほぼ確定しているようです。

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2006年05月16日

丸善京都河原町店の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編01

丸善京都河原町店の跡 2006/05/16

2005年10月に閉店した「丸善京都河原町店」の跡は、2006年3月から「スーパージャンボカラオケ広場」になりました。カラオケ趣味はまったくないので、 見学に行く気はありませんが、『ウィキペディア』等で調べたところ、このカラオケ業者は関西一円に100店舗以上もある大手のようです。この「スーパー」はグループ内では上級店という設定ですが、土地建物の購入費と改装費用に30億円以上かけても儲かるのでしょうから、景気回復の見込みが皆無の書店業界とは大違いです。

丸善京都河原町店の跡 2006/05/30

丸善の京都店は1907年に三条通りにて開業し、1940年に現在地に移転したそうです。小生の記憶では1950年代半ばに3階建てになり、1970年代には5階建てになったはずです。このビルはまだまだ使えそうだったのに、なぜか1993年に8階建てに立て替えられました。このころは、まだ書店業界も余力があったということでしょうか。地階もありますが、丸善当時も現在もたぶん同じ飲食店がテナントのようです。

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