2013年01月15日

「ブックストア談京都店」がほぼ消滅

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編26

「ブックストア談」遺跡 2013/01/15

「ブックストア談京都店」は1970年代末頃の開業で数軒東の「ジュンク堂京都店」よりも5年ほど早かったような記憶があります。1990年代までは1階と2階が売場で計90坪程度でしたが、コミックや株屋の情報誌などに強く、また当時は珍しかった古本セールを1階のどまんなかで継続的に催したりして、たいへんユニークで活気のある店でした。2000年代初めに全店が文教堂に買収されましたが、「談」の店名のままで営業を続けていました。在りし日の様子は「2007年06月19日」の記事をご参照ください。
その京都店の前を通りかかったところ、知らない間に「ブックストア談」ではなくなっていました。ネットで調べたところ、昨年の12月22日に改装オープンしたそうです。上の写真をクリックして拡大すると読めるはずですが、商店街の統一看板はまだ「BOOK STORE dan」のままです。入口のサインには「JQ STORE京都店」とあり、横に小さく「Produced by 文教堂」と掲示されています。1階と2階は文具、事務用品、雑貨の売場で、3階と2階の一部はコミック専門店の「アニメガ」となり、地下1階は『B's Hobby京都店』で変わりません。数年前に文教堂がジュンク堂や丸善書店と同じグループ会社になったこともあり、ジュンク堂の数軒西で普通の書店を続ける必然性がなくなったのでしょう。というわけで、潰れたわけでも閉店したわけでもありませんが、「ブックストア談京都店」の“遺跡”としておきます。新しくオープンした「アニメガ京都店」についてはあまり興味がなく、3階まで上がるのがめんどうなのでまだ見学していません。

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2012年01月04日

「紀伊國屋書店 MOVIX京都店」の跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編25

「ゲームパニック京都」2012/01/03

昨年の9月末に閉店した「紀伊國屋書店 MOVIX京都店」の跡地に、昨年の12月16日に「ゲームパニック京都」というゲーセンがオープンしました。ゲーセンには縁がないのでこの店にどんな特長があるのか、そして繁盛しているのかはぜんぜんわかりません。しかし、紀伊国屋書店よりもこの街の雰囲気に合っていることだけは間違いないでしょう。

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2011年04月26日

「ふたば書房河原町店」閉店

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編24

「ふたば書房河原町店」跡地(2011/04/26)

今日通りかかったら「ふたば書房河原町店」が閉店していて、店の跡でバーゲンブックフェアをしていました。元店長のブログによると、閉店は4月17日だったそうです。閉店理由は書いてはありませんでしたが、この27日にオープンする京都マルイ店に出店する関係と思われます。無責任な感想を言うならば、河原町店よりもゼスト御池店の方が、坪効率がかなり悪そうなので、あちらを撤退したほうがよさそうに思えるのですが…。いずれにしろこれで、河原町通の二条〜四条には、新刊書店の路面店がついに0軒となってしまいました。ただし正確にいうならば、「サンパウロ」というカソリック本の専門店があるのですが、これは勘定にいれなくてもかまわないでしょう。河原町店については、本ブログの2007年2月5日に書きましたのでそちらをごらんください。
なお、5月20日まで開催中の「バーゲンブックフェア」ですが、正直なところあまり掘り出し物はなさそうでした。もっともあったとしても、ご近所の古書店数店が先に保護されたことと思いますが。今日並んでいたのは、ISBNの無かった時代からごく最近までの、ショタレ(返品不能品)らしき本と、バーゲンブックの問屋(※たぶん八木書店以外)から仕入れたらしい自由価格本でした。ショタレは全集の端本などとエクスメディアほかの倒産本などで、大部分が100円均一でした。自由価格本の方は何だかよくわからない雑多なものばかりで、洋書の絵本などが多かったような感じでした。こんな品揃えでは、一月近くも営業する値打ちもないような気がしますが、今後の追加商品に期待したいと思います。

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2011年02月19日

「さくら井屋」の跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編23

「さくら井屋」跡地2011/02/19

新京極三条角の「さくら井屋」が1月15日で閉店していました。この店は和風のみやげもの屋というような認識しかなかったのですが、もともとは本屋だったことがわかったので、この遺跡編に追加しておきます。
昨年末に平凡社から刊行された鈴木俊幸著「絵草紙屋 江戸の浮世絵ショップ」にはこの店のことが、かなり詳しく取り上げられています。それによれば、「本屋株式」と大量の版木を購入し、「桜井屋治兵衛」の屋号で本格的に絵草紙屋としての営業を始めたのは天保十二年(1841)頃で、所在地は堀川通今出川舟橋でした。販売していたのは絵草紙や錦絵のほかは、双六や将棋盤やかるたといったゲーム類、足袋の型紙、潮汐などの早見表類など、現在なら実用書に分類されるようなものが主だったようです。絵草紙主体の商売は明治に入ってからは次第にだめになり、明治二十八年に現在地に移転してからは、商売の内容を土産品に徐々に移行していったとのこと。同店のサイトの残滓によれば営業品目は「天保年間より手刷木版画、封筒、便箋、祝儀袋、千代紙等を創作、販売しております。 他にも文庫、袋物等々、友禅染、西陣織の小物類、京人形、髪飾、京紅、等」とありますが、何十年か前までは野球盤やトランプなどのおもちゃ類も多かったような記憶があります。閉店告知の張り紙には「手刷り木版職人がいよいよ少なくなり、当店古来の商品を造ることがむつかしくなり」とありましたが、21世紀の小売商店の閉店理由としては、たいへん稀少といえるでしょう。

「絵草紙屋 江戸の浮世絵ショップ」 
絵草紙屋 江戸の浮世絵ショップ」鈴木俊幸著 定価2800円+税 平凡社

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2010年08月01日

「河原町ビブレ」の跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編22

「河原町ビブレ」跡地 2010/08/01 「河原町ビブレ」跡地 2010/08/01」bibure2.JPG

「河原町ビブレ」は7月末で閉店しました。過去に書店そのものが入居していたことはありませんが、「タワーレコード」や「HMV」が音楽関係の本や雑誌も販売していたので、〈遺跡〉と言えないこともないでしょう。本や雑誌の品揃えは、1990年代末頃の「タワーレコード」が最高で、和書ばかりでなく、洋書、洋雑誌、楽譜まで揃えてました。「タワー」の「オーパ」移転後、2001年にオープンした「HMV」は、開業当初はファッション関係の雑誌なども揃えていましたが、これは1年も続かなかったようで、すぐに音楽雑誌類のみになり、売場面積も縮小の一途でした。
「河原町ビブレ」は6月くらいから閉店セールをやっていましたが、「HMV」は完全にやる気をなくしていたようで、閉店セールすらほとんどなく、あちこちに空っぽの棚がそのまま放置されているとう惨状でした。「LOFT」は「ミーナ」に移転しますが、「HMV」は完全撤退です。「HMV」の地べたの店はどこも採算がとれなくなりつつあるようですから、「河原町ビブレ」が閉店しなかったとしても、撤退は時間の問題だったでしょう。「ビブレ」撤退後のこのビルの今後は未定とのことですが、老朽ビルでテナント料も安そうなので、「ブックオフ」が超特大店を出すとよいのではないでしょうか。

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2009年04月22日

「ランダムウォーク京都寺町店」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編21

「ランダムウォーク京都寺町店」遺跡2009/04/21

2009年1月に閉店した「ランダムウォーク京都寺町店」の跡は、「ロフトマンB.D.」という店が4月始めにオープンしました。ぜんぜん縁のないタイプの店なのでよくわかりませんが、若い人向けのちょっとましな衣料品店のようです。
この書店遺跡について整理しておきますと、「ランダムウォーク京都寺町店」は2006年7月末開店で2009年1月閉店。その前が20世紀末ごろ開店の「喜久屋書店南店:漫画館II」でしたが、ここは2006年6月末に撤退。この「漫画館II」以前がどういう店だったかは記憶にありませんが、書店関係でなかったことはたしかです。

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2009年01月21日

「きりん館」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編20

「きりん館」遺跡2009/01/20

百万遍交差点から北西に数百メートルのあたりの住宅街にあった、児童書専門店の「きりん館」が昨年末に閉店していました。同店のサイトには今日現在、トップページに下記の告知が貼ってありますが、その他のページはすべて削除されているようです。
「きりん館は、京都にある児童書専門店です。2008年12月28日をもちまして閉店いたしました。これまでのご愛顧を心より感謝申し上げます」
「きりん館」は1970年代半ばのオープンでしたが、当時は児童書専門書店の開業が全国的に盛んでした。これは、「第2次ベビーブーム」の最中で、子供の人口が急増していたからだったのでしょう。しかし、その後急速に出生率が落ち、10年以上も前から児童書専門書店の経営は全国的に困難になりつつあるようでしたから、ここもついに維持できなくなられたのでしょう。児童書専門書店とういうスタイルには、ほとんど関心がないので、この店の見学に行ったことは一度もありませんが、京都ではこのジャンルを代表する書店との定評がありました。
しかし、児童書に限らず、いかなるジャンルであっても、新刊書店が専門書店化することはほぼ不可能であろうと思われます。現在も健在な各種の専門書店は、古書が主体で新刊も扱うというスタイルがほとんどです。そして可能ならば新古の輸入書も扱えばさらに専門化しうるでしょう。しかし、古書がほとんど流通していない児童書の場合はそれもほぼ不可能に違いありません。今後、児童書専門書店が残っていけるとしたら、他に収入源のある店しか難しいのではないでしょうか。

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2008年08月05日

「ランダムウォーク京都寺町店」の遺跡?

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編19

「ランダムウォーク京都寺町店」2008/08/05

「ランダムウォーク京都寺町店」は2006年7月29日オープンでしたが、わずか丸2年で閉店してしまいました。〈遺跡〉扱いするのはちょっと早いかもしれませんが、親会社の洋販が倒産してしまったので、再開はむつかしそうに思えます。この店のシャッターには、東京、大阪、神戸、ニュー・ヨーク、ロンドンの地名が記されています。東京には数店ありましたが、昨年6月に最後の店が閉店しており、大阪店も昨年末に閉店済み。ニューヨークとロンドンのことは知りませんが、倒産時に残っていたのは神戸店と京都店だけでした。この京都店もあまり繁盛していたようには見えませんでしたから、親会社が倒産していなかったとしても、遠からず閉店していた可能性が高かったでしょう。

2008/09/02

その後、8月13日から営業を再開しています。店頭に貼られた告知によれば、管財人の同意が得られたので、京都店と神戸店は営業再開できたそうです。販売は洋書に限られ、全店20%引き。いつまでとは記されてませんが、テナント料も人件費もかかる上に、新たな仕入れも難しいでしょうから、そう長くは予定していないと思われます。[2008/08/26補記]

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2008年05月06日

ブックファースト河原町店/駸々堂京宝店の遺跡その2

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編02の2

「ミーナ京都」2008/05/05

2006年1月に閉館した「新京宝会館」の跡地に新築された商業ビル「 ミーナ京都」が4月25日にオープンしました。地上9階地下1階で、「ユニクロ」ほかファッション、雑貨、飲食など49店が入っています。ここも「オーパ」、「BAL」、「コトクロス」、そしてもはやお笑いでしかありませんが開業当時の「ゼスト御池」などと同様に、若い女性をメインターゲットとしているようです。なぜどこもかしこも似たようなコンセプトで始めるのか理解できませんが、とりあえずは無難なのでしょう。このビルに書店がないのははじめからわかっているのですが、インテリアや雑貨の店に少しだけ洋書や洋雑誌が置いてあったりするかもしれません。しかし、まだ全店を確かめたわけではありませんが、その手の店もなさそうな感じです。

開業当日の京都新聞には「河原町三条−四条間変ぼう 客足復活に期待」というご祝儀記事が載ってますが、この通りの状況はますます悪化する一方です。何しろパチンコ店やゲームセンターですら空き店舗が少なくなく、もはやテナント募集をあきらめてトタンで囲ったままだったり、自動販売機を並べたりしている所もたくさんあります。新規テナントが入っていても有名店はほぼ皆無で、長期的な展望のまったく感じられないファストフード関係や雑貨屋ばかりです。いまや新規の有名店はコンビニのみと言ってもよいでしょう。繁盛しているらしいのは、カラオケとネットカフェの類ばかりですが、これらの店は1階に路面店を出す必要がないので、雑居ビルの1階のみ空き店舗というところも少なくありません。目勘定ですが、空き地空き店舗は15%程度はありそうです。ウインドウ・ショッピングという言葉がありますが、この通りにまともなウインドウはほとんど見あたらなくなりつつありますから、ファッションビルの1棟や2棟建ったところで、当分は回復の見込みはないでしょう。

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2008年01月15日

医学・看護書専門書店「金原商店」が閉店

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編18

「金原商店京都店」2008/01/15

河原町通丸太町上ル西側の、医学・看護書専門書店「金原商店京都店」が閉店していました。店頭に貼ってあった告知によれば、「債務超過により1月4日に倒産」とのことです。現在も資本関係があるのかどうかはまったく知りませんが、兄弟会社の金原出版は健在です。金原出版のHPによれば、「金原商店」は1875年(明治8年)の創業で、1926(大正15)年に出版部門を分離したとなってます。このHPには出版部門の歴史しか掲載されていないので、書店部門のその後の歴史はわかりませんが、知ってる限りでは何十年も前からこの場所にありました。おそらく、京大医学部と京都府立医大の中間地点の交差点という地の利で選ばれた立地なのでしょう。以前は木造の店舗でしたが、たぶん10年位前にビルになったようです。店舗があるとはいえ専門書ばかりですから、おそらく医大や看護学校への外商が主だったと思いますが、入店したことがないので店内の様子はぜんぜんわかりません。なお、大阪にももう1店舗あるようですが、こちらもおそらく閉店していることでしょう。
京都の医学書専門店としては、この「金原商店」とともに、寺町通御池下ルにあった「南江堂京都支店」が老舗として有名したが、この店は10年以上前に撤退されました。この2店以外にどんな書店があるのかは知りませんが、日本医書出版協会のサイトによれば、「辻井書院」と「ガリバー」という書店が現在は有力なようです。

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2007年05月22日

「アオキ書店」の遺跡その2

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編07の2

「アオキ書店」遺跡2007/05/22

このブログの2006年7月26日当時は工事中だった「アオキ書店」跡のその後は、「ファミリーマート」になっていました。よくはわかりませんが、おそらく去年の末か今年の初めのオープンだったのでしょう。もう一度説明しておきますと、烏丸丸太町北西角にあった「アオキ書店」は、1970年代に3階建てのビルを新築して繁昌してましたが、1990年代半ばにそのビルを丸ごと「マクドナルド」に貸してしまい、書店のほうは西となりにあった自転車置き場を改造して営業を続けておられました。しかし、2005年末にその書店も廃業され、その跡地もコンビニに貸しておられるというわけです。どう考えても書店業よりも、「マクド」と「ファミマ」に貸している方が、うんと楽に儲かりそうで、たいへんうらやましい話しです。うちの店は元「アオキ書店」に比べると、立地条件は悪いし店舗もボロで狭いので、書店を廃業してテナントを入れても、たいした稼ぎにはなりそうもありませんから。

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2007年03月21日

四条河原町東入ル「海南堂」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編17

「海南堂」遺跡2007/03/20

「海南堂」は四条河原町の北東角を東へ3軒目あたりにありました。まったくのやまかんですが、おそらく1960年代が一番景気がよかったのではないでしょうか。阪急電車が大宮から河原町まで延伸したころです。その当時は市電が四条通にも河原町通にも通っていて、店の前には四条通りの東行き停留所がありました。四条河原町一帯は間違いなく京都一の繁華街でしたから、店を開けているだけでお客は常に途切れることがなかったはずです。20坪もなかったと思いますが、当時はオーム社も京都書院も駸々堂(河原町店)もさして大きくはなく、唯一丸善がちょっと大きめでしたが、まったくやる気がない役場のような雰囲気の店でしたから、あの程度の売場面積でも何ら遜色なかったはずです。1970年代の半ばごろから、市電が廃線になったことや、他の書店が徐々に大型化したこともあってか、以前ほどには繁昌していないように見えました。それでも一等地にはかわりなく、山の本に強い店という定評もあって悠々とした商売をされているようでした。

2000年12月末に閉店されましたが、取次と取り引きの清算をしたら払い戻しがあったらしいという噂を業界紙で読んだような記憶があります。近年は書店の廃業が毎年500店以上のペース続いていますが、取次に借金が残らなかったのはかなりレアなケースだったのでしょう。もっともこの記事では店名を伏せてありましたが、該当するのはここかあるいはその数ヶ月前に廃業された「サワヤ書店」のどちらかであることは、時期や場所から考えて、ほぼ確かだったように覚えています。ついでながらうちの店もいますぐなら、ちょっとした黒字で閉店できることが確実です。「海南堂」さんは閉店後も数年は閉めたままでしたが、現在は何か着物関係の店がテナントに入っているようです。2階の洋食店はたぶんずっと前から同じ店だったように思いますがあまりあてにはなりません。

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2007年01月01日

「三条書店パパラギ(元駸々堂書店三条店)」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編16

「パパラギ書店」遺跡2006/12/31

この場所(三条通木屋町東入ル南側)では、一昨年秋まで「三条書店パパラギ」が営業されてましたが、現在はごらんのように「三法堂」という仏具商に入れ替わっています。この仏具商はちょっと前まで数店西の木屋町角に大きな自社店舗を構えていたのですが、そこは現在テナントビルになっています。おそらくよくある合理化策をとられたのでしょう。

「パパラギ書店」は2000年1月に駸々堂グループが倒産するまでは、「駸々堂書店三条店」の名で営業されていました。倒産後に居抜きで引き継いだ方が、新たに「パパラギ書店」の名で営業を開始されたのだとばかり思っていましたが、実際は1970年代の開店当時から経営者は同じ方で、駸々堂の看板だけを借りて営業されていたのだそうです。うわさでは、個人ではトーハンが取り引きしてくれないので、旧知の駸々堂の経営者に頼まれた結果だそうです。こんなよい場所でも、すでにその当時から個人書店の開店が困難だったとはやや意外でした(もちろん他の取次ならもう少し緩やかだったかとは思いますが)。駸々堂グループの倒産時には数ヶ月休店されていましたが、おそらく取引関係の整理に手間がかかったのでしょう。「パパラギ書店」は売場面積20坪の小店でしたが、京阪三条駅と河原町通をつなぐたいへんに人通りの多い商店街の路面店でしたから、雑誌と新刊と実用書をメインにしてかなり繁昌しているように見えました。2005年9月25日に廃業されましたが、これは経営不振というよりも、経営者の高齢化が一番の理由だったそうです。地下鉄東西線が開通して、京阪三条の乗降客が減少したことや、木屋町通の治安悪化もあって、人を雇ってまで経営を続けるほどの将来性がないと判断されたのではないでしょうか。

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2006年11月21日

「ミレー書房」跡地 その2

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編03の2

「ミレー書房」遺跡2006/11/21

このブログの2006/06/21に「ミレー書房」の跡が更地になっている写真を載せましたが、たぶん今月初めに新しい店舗が開業していました。ごらんのように書店とはまったく関係のないランジェリー・ショップです。ネットで検索すると「エメフィール」というブランド名で、100店舗以上展開している会社のようですが、なんともコメントのしようがありません。報告終わり。

posted by 三月山 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都の書店のうわさ 遺跡編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月07日

訂正版「萬字堂書店」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編09の2

「萬字堂書店」の遺跡 2006/11/07

2006年08月19日の記事にて、「萬字堂書店」の遺跡として、蜂蜜屋さんの写真を掲載していましたが、実はその東隣の「ホリーズカフェ」の場所が正解でした。8月に現地で地元の書店主にたずねたら、蜂蜜屋を指さしたので、同業者の言うことだからと信じていたのですが間違ってました。正解がわかったのは府立図書館で1986年と2006年の住宅地図をコピーしてきて見比べたからです。このあたりの店は半分以上入れ替わっているようですが、まとめての地上はほとんどなくて、以前の敷地割はほぼそのまま継承されているようです。ついでながら「ホリーズカフェ」は以前「からふね屋珈琲」という喫茶チェーンでしたが、「スターバックス」や「ドトール」などに押されて経営不振になったので、店名を変えてスタバのようなセルフスタイルに転換したチェーン店です。店名は社長が堀尾氏なので「タリーズ」のまねをして「ホリーズ」にしたのでしょう。

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2006年10月15日

「祇園書房」閉店

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編15

写真無し

四条通りの祇園町にあった「祇園書房」が昨日限りで閉店されました。四条通りの鴨川から東、祇園社の西門までの商店街は、河原町通りに比べればまだまだまともな町ですが、唯一の書店が閉店し、その跡がコンビニになるようでは、この町の先行きもあまりよくなさそうです。
昨日の朝日新聞の夕刊によれば1981年の開店だそうですから、25年目ということになります。閉店の最大の理由は築130年という建物の老朽化のようですが、書店を続けるために新築するのはさすがに無謀でしょう。この書店の名が市内で知られるようになったのは、10年くらい前に、大阪の某出版営業代行会社に運営を委託してからのことだったと思います。それ以前のことはまったく知りませんが、ごくふつうの小書店様式だったのでしょう。運営を引き受けた営業代行会社は、同店をアンテナショップとして利用すると同時に、品揃えになんらかの特色を出すことを企画したようです。同店のサイトには「花街の本屋さん『祇園書房』は京都本・プロ向き料理書が京都一揃ってる!と評判ですが、文芸書だってスゴイんです。」とありました。昨秋刊行の「京都読書空間」に見開き2頁で紹介されていた新刊書店は、「祇園書房」、「一乗寺恵文社」、「ガケ書房」、「大龍堂」など7店のみだったことをみても、古い言葉でいうならば、立派に「キャラが立っていた」ことがわかるでしょう。ちなみに「三月書房」は1頁でした。
「祇園書房」が閉店した結果、正確なことはわかりませんが、北は丸太町通りから南は五条通りまで、西は鴨川から東は東山通りまでの地域に残る新刊書店は、五条の「都堂書店」と東山松原の「東山書院」の2店だけになったようです。このあたりは住宅や商店の密集地域であり、それなりに人口も多いはずなのですが、コンビニがあればとりあえずは間に合うのでしょう。

◎参考図書「京都読書空間」定価1200円+税 光村推古書院
※写真はいずれ撮してきます

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2006年10月13日

「駸々堂河原町店」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編14

「駸々堂河原町店」跡2006/10/10

「駸々堂河原町店」は1993年7月に閉店しましたが、これは同店の意向ではなく、テナントビル側の都合によるものだったようです。このビルは5階建てくらいで、どこかの生命保険会社のものでした。1階が店舗で、上の階はその保険会社が使用していたのか、貸し事務所にしていたのかどちらかだったようです。ビルは売却されて更地になりましたが、西側の裏寺通りに続くかなり広い更地と合わせてながらく放置されていました。現在の「ラウンドワン」とかいう、ボーリングがメインの大型ゲームセンターがオープンしたのは2000年代初めでした。ようするに河原町通りの<郊外化>の代表的な例といえるでしょう。ぜんぜん知りませんでしたが、この「ラウンドワン」は同社のサイトによると、全国展開しているなかなか景気の良さそうな会社のようです。
「駸々堂河原町店」がいつごろこの場所で開店したのかは知りませんが、戦前からこのあたりにあったようです。この店の数十メートル北に「京宝店」が開店したのは1971年でしたが、それ以前は「京都書院」や「丸善」とともに地域を代表する書店でした。売場面積は80坪位でしたが、1960年代には充分な広さで、間口も広い路面店でしたから、たいそう繁昌しているように見えました。先の2店に比べると専門書が少なく、雑誌多数のほか児童書や学参や実用書など一般客向けが豊富でした。「京宝店」は専門書を多く揃え、雑誌、児童書、学参、コミックなどは置かないことによって、2店の棲み分けもうまく行っているようでした。とくに1980年代に「河原町店」の奥半分をコミック専門売場にして大成功したのが画期的でしたが、そのあたりのことはこのブログの2006年08月22日をごらんください。「河原町店」の閉店後は、しかたなくという感じで「京宝店」が雑誌、児童書、学参、コミックを扱うようになりましたが、そのおかげで専門書がかなり減少してしまいつまらなくなりました。もっとも経営効率はよくなったのではと想像されますが、これはなんともわかりません。

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2006年09月23日

「アスタルテ書房」の池田屋ビル遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編13

アスタルテ書房」遺跡2006/09/23

かの有名な「池田屋旅館」は1980年代の初めごろに「池田屋ビル」とかいう名の雑居ビルになり、1階は「ケンタッキーフライドチキン」で、4階だったかの前半分が「アスタルテ書房」で、後半分が斜め向いのタカセビルにて今も健在な「ブーツィーズ・レコード・ショップ」でした。「アスタルテ」は今の店に比べるとごく普通で、雑本も少しはあり、見切り品のコーナーもあって、気軽に入れる店でしたから、個人的にはあのころの店のほうが良かったと思いますが、超有名になったのは今の場所に移転してからでしょう。はっきりとは覚えてませんが、バブル経済の真っ最中だったころに、池田屋ビルは売却されて跡地はパチンコ屋になってしまいました。それはともかくとして、あの頃は中古レコード屋もいまよりはもっと元気があって、「スローターハウス」、「ジャンクショップ」、「リバーサイド」などを見て回るだけでけっこうな時間がかかったものです。ちかごろは古本屋以上にレコード店の衰退が顕著で、町歩きの楽しみが激減しています。

「池田屋騒動址」碑2006/09/23

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2006年09月19日

「京都書院イシズミ店」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編12

「京都書院イシズミ店」遺跡2006/09/19

記憶があいまいで申し訳ありませんが、「京都書院イシズミ店」は1970年代の半ばから1980年代の初めまで、おそらく10年未満の存在だったように覚えてます。河原町四条上ル西側の「京都書院河原町店」の斜め向かい、「イシズミ」という洋服店のビルの地下にありました。売場面積20坪程度で、人文書を中心とした品揃えは、やや教養主義のなごりを感じるものでしたが、とくに中高年の人たちにはなかなか好評だったようでした。それはよいのですが、最後までよくわからなかったのが、向かい側の本店との役割分担がどうなっているのかということでした。もともと本店は4階建てで百坪しかなく、地下は飲食店がテナントに入っていて、立ち退いてくれそうになかったため、売場を広げる目的で直近に支店を出したはずなのでしたが、両方でかなり重複する品揃えだったのです。本店は美術書専門にして文学思想関係などはすべてイシズミ店に任せればよかったと思うのですが、これはあくまでも外部の無責任な意見なので、実際にどうであったのかはわかりません。両店は斜め向かいにあるとは言っても、河原町通りは信号のある横断歩道でないと渡るのは危険なので、かなり大回りする必要があり、「その本は向かいの売場でどうぞ」とは言いつらいため、ある程度の重複は避けられなかったのかもしれません。その後、京都書院では中途半端な労組紛争があったりもしましたが、イシズミ店の撤退が紛争以前だったのか以後だったのか忘れてしまいました。結果論的に言えば、イシズミ店は京都書院の長期低落過程において、あまりたいした支えにならなかったことだけは確かでしょう。現在、雑居ビル「イシズミ」は、洋服店「イシズミ」のあった1階に「ファミリーマート」が入り、ほかのフロアにはサラ金などがびっしりと入店していて、河原町通りの郊外化/ファストフード化/下流社会化に大きく貢献しているようです。

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2006年08月24日

「河原書房」の跡地

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編11

「河原書房」跡地

河原町通蛸薬師下る東側にあった「河原書房」は、2005年12月末に閉店されました。10坪あるかどうかという小店でしたが、茶道、華道、邦楽、歌舞伎、和食など、日本の伝統文化関係の本の専門書店としてたいへんに有名でした。大型書店のそれぞれの棚には、どの分野の本も量だけはもっと多くありますが、何か肝心な本や重要な本が抜けていることが少なくありません。そしていろんな流派が出している、一般に市販はされていない〈非流通本〉であっても、この店でなら買えることも少なくなかったようです。
以前に読んだ「京都新聞」の紹介記事によりますと、この書店の創業者は河原武四郎さんという方で、その長男が出版の「河原書店」を、次男が本屋の「河原書房」を継がれたということです。「河原書房」の創業は昭和12年とありましたから、ほぼ70年で閉店されたことになります。出版社の「河原書店」は健在で、表千家の「茶道雑誌」ほか、茶道関係の書籍の出版を続けておられます。
「河原書房」が扱っておられたような日本の伝統文化関係は、ちかごろでは「和カルチャー」としてちょっとしたブームになっていますが、急速に下流化しつつある河原町通には、まったく似合わなくなりつつあったことは確かです。それゆえ、閉店は仕方なかったかもしれませんが、寺町三条あたりに移転されればよかったのにと惜しまれます。なお跡地はペンシルビルになり、1階はケータイ電話の店になってます。

posted by 三月山 at 10:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都の書店のうわさ 遺跡編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする