2018年05月10日

梶井基次郎『檸檬』の鎰屋の写真

kagiya.JPG 「鎰屋」1955年秋

この写真の中央は寺町二条西南角にあった「鎰屋(かぎや)」の建物を1955年に撮影したものです。あの梶井基次郎の「檸檬」(初出は大正13年)に出てくる「鎰屋」ですが、文学アルバム等では写真を見たことがないので、やや珍しいかもしれません。※註・画像をクリックすると拡大されるはず。
「また近所にある鎰屋の二階の硝子窓をすかして眺めた此の果物店の眺めほど、その時どきの私を興がらせたものは寺町の中でも稀だつた。」
当時の鎰屋は有名な和洋菓子店で二階が喫茶室になっていた(『京都文学散歩』京都新聞出版センター)そうなので、この写真の建物の二階の硝子窓などは、梶井の小説と合致しているように見えます。しかし問題なのは、この建物が「檸檬」の書かれた大正末年とはたして同一なのか、それとも後に建て直されたのかわからないことです。うちの商店街の長老に見てもらったら、間違いなく「鎰屋」だと断言されましたが、残念ながらこの方は昭和2年生まれなので、昭和の初めに建て替えた可能性についてはわかりませんでした。
「檸檬」当時の寺町通は今よりも狭く、おそらく現在の寺町通の二条以南と同じ幅だったはずで、しかも狭軌の市電が通っていました。この市電は河原町通に広軌の市電が敷設されたことにより、大正15年7月に廃線となりましたが、その後近い時期に拡幅工事があり、この「鎰屋」のあった寺町通西側の土地は、丸太町から二条まで、通りに面した数メートル程度を一率に接収されました。お隣の五色豆屋のおばあさん(明治生まれ。故人)に聞いた話では、木造建築は壊さずにコロで後ろに引っ張ったのだそうですが、「鎰屋」の建物の場合はちょと無理そうに見えますがどうなのでしょう。
この写真は寺町二条上ル東側から南西方向を撮影したもので、裏面のメモによると1955年10月とあります、撮影者は不明ですがおそらく三月書房の関係者でしょう。隣の学区の白山神社(麸屋町押小路)の御輿が写っていますが、ここの秋祭りは9月のはずなのに、なぜ10月撮影となっているのかは不明です。写真の現物は56mm×68mm位、印画紙の形状からヤシカの二眼レフかもと思いますがあてにはなりません。その小さな写真を安物のスキャナーで拡大処理しただけなのでいまいち鮮明ではありませんが、現物をルーペで見ると、「鎰屋」の二階の看板には「京都府労働図書館」と読めます。一階は雑貨店かなにかのような小売店だったようで、小学生のころにハモニカを買ったおぼろげな記憶があるのですがあいまいです。先の長老の話では「鎰屋」は元の建物を貸すか売るかして、自らは二条通を一軒西に入ったところの小店でしばらく営業を続けていたとのことです。
なお、「鎰屋」の斜め向い、寺町二条東南角にあった檸檬の果物店は2009年に閉店されました。この件についてはこのブログに記事があります。[梶井基次郎「檸檬」の果物屋が閉店(2009年01月28日)]
それから、「鎰屋」からの暖簾分けで「KaGiYa」という洋菓子と喫茶のお店が河原町荒神口にありましたが、昨春閉店されたそうです。
※註。上記写真は元版丸ごとではなく一部カットしてあります。

2018/05/13補記。「鎰屋」のマッチラベル。
マッチのレッテルに大正ロマンを求めて”というサイトに「鎰屋」のマッチラベルが5枚も紹介されています。説明によれば「大正末期から昭和初期の宣伝広告マッチラベル」とのことですが、そのデザインや「Confectioner.& Tea Parlor」とあることからみて、この当時は和菓子ではなく洋菓子が主だったのでしょう。

2018/05/13補記。昭和13年の「かぎや茶寮」のメニュー
“モダン周遊”というサイトに「昭和13年9月の鎰屋“季節 御菓子の栞”」が紹介されています。この栞には「御菓子司かぎや延秋」とあり、特製洋菓子としてマロン・グラッセ、カステーラ、シュークリーム、プッディング、サブレ、別製アイスクリームなどがあり。これらは2階の「かぎや茶寮」のメニューのようですが、持ち帰ることも配達してもらうこともできたようです。仮名書きで「かぎや」としてあるところを見ると、戦前の人たちにも「鎰」という漢字は難読だったのでしょう。

2018/05/16補記。湯川秀樹自伝『旅人』の「鎰屋」
湯川秀樹(1907−1981)の自伝『旅人』(初出は昭和32年の朝日新聞連載)に、子供のころの思い出として、「寺町の二条に鎰屋という菓子屋があった。当時としては、店構えも、置いてある菓子もモダンな店であった。その店から毎日のように御用聞きが来た。(中略)しかし、ぜいたくな 菓子は、余り食べなかった。塩豆、そら豆、餅菓子ではでっち羊かんにすはま。」とあります。湯川は1907年(明治40)生まれですから、仮に10歳前後とするならば大正6年ごろのことでしょう。モダンな洋菓子ばかりではなく、豆菓子や餅菓子などの和菓子も製造していたらしいことがわかります。なお、この当時の住いは寺町通二条の「鎰屋」から北へ1キロほど、寺町広小路の梨木神社の北でした。

2018/05/16補記。「京菓子司 かぎや延弘」と「御菓子司かぎや政秋」
ネットで検索すると、今出川寺町に「京菓子司 かぎや延弘」という店があり、“創業昭和2年(1927年)、元禄年間から続き小説(檸檬)にも出てくる「鎰屋延秋」から暖簾分け”とのこと。
さらに、百万遍には「御菓子司かぎや政秋」があってこちらは“1920年(大正9年)創業”とのこと。これで「KaGiYa」を含めて3店見つかりましたがまだ他にもあったのでしょうか。

posted by 三月山 at 22:20| Comment(0) | 雑、雑、雑、… | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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