2007年03月21日

四条河原町東入ル「海南堂」の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編17

「海南堂」遺跡2007/03/20

「海南堂」は四条河原町の北東角を東へ3軒目あたりにありました。まったくのやまかんですが、おそらく1960年代が一番景気がよかったのではないでしょうか。阪急電車が大宮から河原町まで延伸したころです。その当時は市電が四条通にも河原町通にも通っていて、店の前には四条通りの東行き停留所がありました。四条河原町一帯は間違いなく京都一の繁華街でしたから、店を開けているだけでお客は常に途切れることがなかったはずです。20坪もなかったと思いますが、当時はオーム社も京都書院も駸々堂(河原町店)もさして大きくはなく、唯一丸善がちょっと大きめでしたが、まったくやる気がない役場のような雰囲気の店でしたから、あの程度の売場面積でも何ら遜色なかったはずです。1970年代の半ばごろから、市電が廃線になったことや、他の書店が徐々に大型化したこともあってか、以前ほどには繁昌していないように見えました。それでも一等地にはかわりなく、山の本に強い店という定評もあって悠々とした商売をされているようでした。

2000年12月末に閉店されましたが、取次と取り引きの清算をしたら払い戻しがあったらしいという噂を業界紙で読んだような記憶があります。近年は書店の廃業が毎年500店以上のペース続いていますが、取次に借金が残らなかったのはかなりレアなケースだったのでしょう。もっともこの記事では店名を伏せてありましたが、該当するのはここかあるいはその数ヶ月前に廃業された「サワヤ書店」のどちらかであることは、時期や場所から考えて、ほぼ確かだったように覚えています。ついでながらうちの店もいますぐなら、ちょっとした黒字で閉店できることが確実です。「海南堂」さんは閉店後も数年は閉めたままでしたが、現在は何か着物関係の店がテナントに入っているようです。2階の洋食店はたぶんずっと前から同じ店だったように思いますがあまりあてにはなりません。

posted by 三月山 at 22:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 京都の書店のうわさ 遺跡編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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