2006年06月15日

京都書院ヴァージョンB/オーム社書店河原町店の遺跡

<天に唾する>京都の書店のうわさ 遺跡編04

京都書院ヴァージョンBとオーム社書店河原町店の遺跡2006/05/30

これは河原町通四条ちょい上がる西側のファッションビル「河原町OPA」です。このビルができる前は、うろ覚えですが、河原町通りに面して南から「オーム社書店」、「ナガサキヤ」、「春陽堂」、「京都書院」と並んでいたように記憶してますが、もうあと1店か2店あったかもしれません。これらの店の裏側には裏寺通りに面したお寺が三つ四つありました。バブル期にこれらの店と寺を次々に地上げした跡地(敷地面積820坪)はしばらく更地でしたが、1998年11月にこのビルがオープンしました。オープン当初9階には地権者としてかどうかは知りませんが、「オーム社書店」がどこかのレコード屋とフロアを分け合って出店してましたが、1年少々で撤退されました。また当時としては京都初だった「ヴィレッジ・ヴァンガード」も別の階に10坪程度で出店してましたが、こちらは烏丸三条の新風館のオープン時に移転されました。9階はしばらく入れ替わりが続きましたが、タワーレコードがビブレから移転してきて以後は安定しています。このタワーはCD/DVDはまずまずですが、書籍と雑誌はビブレ店と比べると激減し、質量ともにさびしい品揃えです。

「オーム社書店」は理工学専門書出版のオーム社の書店部門で、最盛期には5店以上ありましたが、河原町オーパ店の撤退後ほどなく、他の店もすべて閉じられました。元の河原町店は2階建てでしたが?、1970年代に3階建てに改築?されました。終末期には1階は一般書と雑誌、2階は理工学書を中心とした専門書、3階が児童書とコミックだったような記憶があります。売り場面積は公称100坪となってましたが、もっと狭かったような感じでした。

「京都書院」は戦前からの有力書店で、1960年代半ばに4階建てのビルを新築してからは、間違いなくこの地域の一番店でした。4階まとめても100坪もない、いまから思えば信じられないくらい狭い店でしたが、プレイガイドやギャラリーもあって、京都の美術・音楽・演劇における最先端の拠点として、確固たる位置を占めていました。しかし、1970年代初めに駸々堂京宝店に地域一番店の地位をとられ、それから以降は相対的な地位は落ちる一方でしたが、あまり有効な対抗策は講じられなかったように見えました。1980年代後半の土地価格の急上昇によって河原町店の含み資産は膨大となり、それを担保に借り入れた資金で、新たな事業を各種企てられましたが、どれも実を結ばないまま土地価格の暴落によって担保割れし、銀行に土地を取り上げられて閉店してしまったのが1993年のことでした。その後も堀川通り御池下るの本店や出版部門は残っていましたが、1999年に倒産してしましました。そのあたりの詳しいことは「三月書房販売速報(仮題)012号」をお読み下さい。

いま思えば、「駸々堂京宝店」がオープンする以前は、理工学書に強い「オーム社」、アート系に強い「京都書院」、学参や児童書に強い「駸々堂河原町店」、そして洋書の「丸善」の4店がうまく棲み分けて、全国的にも有名だった河原町書店街の中核を形成していた、ということだったのでしょう。

posted by 三月山 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 京都の書店のうわさ 遺跡編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック


Excerpt: オーム社オーム社は理工学専門書、コンピュータ関連書などを出版する日本の出版社。.wikilis{font-size:10px;color:#666666;}Quotation:Wikipedia- A..
Weblog: 東京企業2
Tracked: 2007-09-14 02:15